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Už zase skáču přes kaluže
    もう一度水溜りを飛び越してみせる

チェコスロバキア映画 (1970)

ポリオに冒された馬好きの少年を ウラジミール・ドロウギー(Vladimír Dlouhý)が主演する感動の映画。時代設定は不明だが、登場する「お偉方」を乗せた車が、車種不明ながら1920年代のものなので、同時代だと思われる。20年代ということは、歴史的に見れば結構重要で、現在のチェコは、1918年、第一世界大戦の終結によりオーストリア=ハンガリー帝国が解体され、チェコスロバキア共和国として誕生する。ということは、映画の舞台は帝国ではなく、大統領制の民主国家となる。場所も不明だが、ロケ地となっているのが、ナパイェドラ(Napajedla)城の厩舎(1886年)なので、チェコ東部モラヴィア地方としていいであろう〔映画中に、西部のボヘミア地方を暗示する台詞もあるが、素晴らしい厩舎に敬意を表して〕。ナパイェドラの厩舎は英国種のサラブレッドの種馬飼育場として歴史的に有名で、主人公の少年アダムの父も、このような立派な厩舎の1つで調教使として働いている。映画で、病院の看護士が、風呂のタイルを自慢するシーンで、アダムが厩舎にもタイルが貼ってあると言い、嘘付き呼ばわりされるが、厩舎の格はそのくらい高かった。小さな頃から父の後を継いで調教師になりたいと思っていたアダムの夢は、どこかで感染したポリオのため無残にくじかれる。最初、両膝に伸展不全が起こり、病院に数ヶ月入院し、手術を受けて退院した後も、右脚が全く動かず、松葉杖と左足でしか歩けなくなった。しかし、すべてに前向きなアダムは、そうした運命に甘んじた上で、何とか馬に乗れるようになろうと必死に努力する。村の少年たちも、そうしたアダムに同情も差別もせず、仲間として普通に扱い、馬に乗る手伝いもする。こうした協働関係は、観ていてとてもすがすがしい。このDVDは、イギリスのAmazonからの購入したものだが、“paper sleeve”という形で届いた。要は、少しだけ厚紙の薄い用紙に、裸のままのDVDが入っているだけの超簡易包装。その上、50年近く前の映画なので、映像には傷や退色も多く、写真の選定と修整、色彩調整には時間を要した。しかし、こうした隠れた良い作品が販売停止とならず〔2000年代の前半の作品でも、入手不可能なものは多い〕、今でも入手できることに感謝したい。

アダムは、風格ある厩舎でサラブレッドの調教師として働く父の息子で、名前も同じなら、極度の馬好きなところまで同じ。朝から夕方まで、父が馬を調教する姿を見ていることが大好きだった。アダムは、馬に乗ったり、調教の手伝いをしたかったが、父は、まだ小さいからと、なかなか教えてくれない。調教場の野原を囲む木の柵に ジャンプで腰を掛けられるようになったら教えてやる と言われたアダムは、隠れて練習するがちっともできない。そこで、柵の近くに土を盛り、草で隠した上で、そこを踏み台にして柵に飛び乗ることに成功する。そんなアダムに、父は厩舎の鍛冶場に伝言に行かせる。その時、鍛冶場の工長は、悪戯心でアダムの頬を触り、真っ黒なススを付ける。それを子供たちに冷やかされたことが発端となり、最後は臆病でないことを証明するため、アダムは、鍛冶場で一番若い職人にパチンコで石をぶつけてしまう。怒った職人に追いかけられたアダムは、冷たい池に入って追跡を逃れる。アダムは冷水に長時間入っていたため体調を崩し、それが、数日前に感染していたポリオを発症させる。熱から回復したアダムを待っていたのは、動かそうとしても動いてくれない足だった。ポリオにより弛緩性麻痺が残ってしまったのだ。アダムは町の病院に入院し、手術を受け、左足と松葉杖で何とか歩くことができるようになる。しかし、アダムは、昔夢見ていたように、馬に乗りたくてたまらない。そこで、今では仲良くなった友達〔厩舎の監督の息子〕に頼んで馬と鞍一式を用意してもらい、一から乗馬の練習を開始する。両親に内緒で練習を積んだアダムは、村で乗馬の大会が開かれる日、自宅の前で、見事な操馬ぶりを披露するのだった。

ウラジミール・ドロウギーは、出演時恐らく11歳。乗馬は、スタントかもしれないが、もし本人が乗っていたのなら、大したものだ。この映画は、ウラジミールにとって、初出演、初主演の記念すべき作品。彼は、その後も、子役として多くの映画に出演し(うち2本は主演)、子役から脱するとTVを中心に活躍。それは2010年に亡くなるまで続く。


あらすじ

タイトルが表示されるまで、アダム誕生までの経緯が白黒映像で示される。アダムは生まれた時から父の後を継いで「馬の調教師」になるよう運命付けられていた。お産をする母のベッドの下には縁をかついで父の鞍が置かれ、付けられた名前も父と同じアダム(Adame)だった。すべてのクレジットが終わると、いきなりドアが開き、こっそりとアダムが外に出てくるが、忍び足で立ち去ろうとすると母に吊りズボンのサスペンダーをつかまれ(1枚目の写真)、家の中に戻される。アダムは、次に1階の窓から出ようとするが、これも敢え無く失敗(2枚目の写真)。3度目の正直は、屋根裏の天窓から屋根に出て(3枚目の写真)、写真の右端に映っている材木を伝い下りて脱出に成功する。遠くから、楽隊の音が聞こえてくるが、今日は年1回の馬術競技の日だ。しかし、アダムが向かった先は、父が馬を訓練している野原の囲い場だった。
  
  
  

専用の訓練用の野原は、中央に道が通っていて、道の両側に木の柵が設けられている。その柵は、馬が自由に走り回れる広い空間を取り囲むように、左右に延びている。アダムは、父が1頭の馬を、人が乗れるように訓練しているのを、柵にもたれて感心するように見守っている(1枚目の写真)。父が、「母さんが、出してくれたのか?」と尋ねるが、アダムがいないことに気付いた母がやってくる。アダムは慌てて小屋の後ろに隠れる。「あの子 見なかった?」。アダムは、当然、父が庇ってくれると思っていたが、返事は「ここにいるぞ」だった。がっかりするアダム。「だが、心配するな、もうすぐ一人前になる。スカートなんか はかせたくないだろ?」。「もっと ましな言い訳はないの? 柵から落ちるかもしれないし、馬に蹴られるかもしれないでしょ」。「なんで、柵から落ちたり、馬に蹴られたりするんだ?」。2人が言い争っているのだけなので、アダムは母のことは忘れ、花にとまっていた蝶を手で取り、じっと見て、空に向かって放してやる(2枚目の写真)。母の不満は、父が馬にかまけて、息子の教育をしないことにあった。「馬の調教と同じだと思ってない?」。その時、父は調教中の馬から振り落とされた。「どっちも似てるのさ。アダムはこんな風に暴れんがな」。そして、「心配するな、手に負えない馬以上に 躾けてやるから」と追加。あまり期待できないと思った母は、隠れているアダムに向かって、「地面に跪くんじゃありませんよ。ズボンが泥で汚れるでしょ」と声をかける。母が想像した通り、跪いて母の様子を伺っていたアダムは、慌てて立ち上がり、生えていた草を抜いて汚れを取ろうとする。母は、何でもお見通しで、「もしズボンが汚れたら、草で拭いちゃだめよ。シミになって取れないからね」と付け加える。アダムは急いで雑草を捨てる(3枚目の写真)。
  
  
  

父は、「どの馬も、俺を一度は振り落としてもいい。しかし、2度目は許さんぞ」と言いつつ、馬に跨る。しかし、今度はすぐに落とされる。「2度落としたな。3度目は怒るからな」。今度はしばらく走って、またドスン。今度は何て言うかと思ったら、「俺を3回も落とすとは、やるじゃないか。お前は、自由を失いたくないと思ってるんだろうが、どうせ最後には、子羊みたいにおとなしくなるんだ」。父は、こう馬に言い聞かせると、被っていた帽子を「このバッタに、おでかけ用の帽子をつぶされたくない」と言ってアダムに投げて寄こす。本気になった父は、それから一度も落ちることなく馬を走らせ、十分と思ったところで止める。アダムは調教が終わり少しがっかり(1枚目の写真)。馬から降りた父は、「行儀がよくなったじゃないか」と馬を褒め、囲い場の中で自由にしてやる。そして、アダムと一緒に草の上に座り、持参のサンドを食べ、「俺は、骨太で長い脚の馬が好きだ」と話す(2枚目の写真)。さらに、馬にも個性があり、それは目を見ると分かるとも。そこに、厩舎の監督がやって来て、馬の調子を尋ねる。父は、「もういつでも乗れますよ」と言い、アダムに連れてくるよう命じる。「どうかしてるんじゃないか? お前の子が馬に殺されてもいいのか?」。「まさか。馬は好きですが、息子はそれ以上に大事ですよ。調教が終わったので、子羊みたいになってます」。その言葉通り、馬は、おとなしくアダムと一緒にやってくる。監督は、父の調教の早さに感服し、「もし、酒を断ったら、レースに戻してやるぞ」と褒める。酒癖の悪いのが、父の最大の欠点なのだ。馬がいなくなると、父は、「お前が大きくなったら、俺よりずっとうまく調教できるだろう」「厩舎一の調教師になれるぞ」とアダムを鼓舞する。「いつから教えてくれるの?」。「もう少し大きくなったら」。「もう大きいよ」。「あと、もうちょっとだ」。そして、「こんなことができるようになったらだ」と言って、両手を柵の上段に置くと、ひょいと柵に飛び乗ってみせる(3枚目の写真)。
  
  
  

恐らく翌日(霧の日)、囲い場では、柵の上段に飛び乗ろうと練習するアダムの姿があった。11歳の少年には、肩の高さにある丸太にジャンプして座ることは容易ではない。何度やっても失敗ばかり。次の日(晴れ)も、また失敗(1枚目の写真)。1日中練習ばかりしていると、夕方になって母が呼びにきて、「すぐに帰ってきなさい。でないと、後悔するわよ」と警告する。それでも、アダムは練習を続ける。その結果、帰宅したアダムを待っていたものは、母の鞭だった。ベッドの下に隠れようとするアダムの両脚をつかんで引きずり出し、体を捉まえると、「手をどけなさい」と言いつつ、お尻を細い棒で何度も叩く(2枚目の写真、矢印は棒)。お尻を手で庇おうとしたのは失敗で、手に棒が当たり痛かったので、すぐに引っ込める。痛さに声を上げるアダムに、父は「お前は男だろ。他のことでも考えてろ。叫ぶんじゃない」と言い、それを聞いた母は、「いい、躾け方ね」と皮肉る。便所が屋外にあるくらいなので、当然、風呂などはない。たらいの水で体を拭くのが「入浴」だ。アダムが姉に体を拭かれていると、母は、背中についた数ヶ所のアザに目を留める。柵に挑戦して背中から落下した時にできた打ち身だ。母は、「この打ち身 見てよ。この子 ケガしてるわ。どうして、何度も柵に飛びついてるの?」と父に尋ねる(3枚目の写真)。「柵に乗る練習だ。だが、ケガしてちゃいかんな。ちゃんとできりゃ、どこも痛くならん」。
  
  
  

それを聞いたアダムは、体ではなく、頭を使うことにした。柵の間を通る道から土を取ってきて、目当ての柵の内側(囲いの中)に小さな山を造る。そのままだと目立つので、大きな牧草の塊を運んできて(1枚目の写真)、その上に置き、カモフラージュと高さを増すのに役立てる。こうして20センチほど高い踏み台ができたため、助走をつけて「台」の上で両足ジャンプしたアダムは、柵の上段に腰をかけることができた(2枚目の写真)。さっそく、このことを知らせようとしたアダムは、厩舎に父を捜しに行く。そこは立派な厩舎で、中央の通路をはさみ両側に高さ2メートルほどの暗赤色に塗られた丸柱が並んでいる(柱の頂部には金色の飾りが付いている)。丸柱と丸柱の間には、1頭ずつサラブレッドが入っている。背面の壁には一面に白いタイルが貼られている。格式の高い建物だ。アダムが、「イカルス」「ノネ」「ゲネラル(将軍)」「セザル」と馬の名前を呼んでいると(3枚目の写真、両側に暗赤色の丸柱が映っている)、背後から飼育係が寄ってきて、「父さんを捜してるのか? 子馬の蹄鉄で、鍛冶場に行ったぞ」と教えてくれる。
  
  
  

アダムは、敷地内を歩いて鍛冶場に向かう。途中で、ロケ地のナパイェドラの厩舎の一部が映る(1枚目の写真)。窓枠のレンガに塗られた白い塗料が特徴的だ。鍛冶場にいた4人の職人は、「父さんはここにはいないぞ。水を飲みに行った」「ポンプまで見に行ったらどうだ」と笑う。アダムがポンプの所に行くと、そこにいた、カンカン帽を被った男の子〔監督の息子〕が、「お前の父さんなら、農家の奴らとに飲みに行ったぞ」と言い、一緒にいた黒髪の子が、「いつも、喉が渇いてるからな」と皮肉る。怒ったアダムが、カンカン帽を叩き落すと、少年は手に持っていたパチンコで石を飛ばしてくる。この2人、意地悪そうだが、後でアダムを親身になって助けてくれる。アダムが向かった先は酒場。酒場とは思えない立派な建物で、周囲には近郷から集まってきた農民の荷馬車が10台以上並んでいる。酒場の中は大盛況。父は1リットル以上入った大きな酒瓶を手に2人と話しているが、かなり酔っている。アダムは「父ちゃん」と声をかける。「柵に飛び乗れたよ」。「そうか、柵で待ってろ。すぐに行くからな」。喜び勇んだアダムは、そこで半日待ち続けたが、夕方になっても父は現れない。仕方なく家に帰って外で待っていると、父が馬に乗ってご機嫌で帰ってきた。アダムの顔を見た父は、約束を思い出し、「待ってたのか?」と訊く。「柵に飛び乗れた。簡単だった。見に来てくれる?」。その時、母が、「こんな時間に、どこに行くの?」と訊く。辺りはもう薄暗くなっている。しかし、父は、酔った勢いもあり、息子の柵乗りを見に行くと、強引に言い張る。母の捨て台詞は、「その子、大きくなったら ごろつきになるわよ。あんたみたいな、のんべえにね」。父子は柵の所までやってくる。「見ててよ」。「ああ、見てるぞ」。しかし、アダムが柵乗りをしてみせた時には、父はおネンネ状態。「父ちゃん!」の声で、「ああ、見てるぞ、飛んでみろ」。アダムは、もう一度、「ちゃんと見てる?」と訊き、「もちろん」の声で柵乗りをするが、父は また寝ている。今度は、熟睡してしまったので、アダムは遠くの井戸から桶に水を汲んできて、父の顔目がめて大量の水をかける(2枚目の写真)。これで、ようやくしゃきっとした父の前で、アダムは3度目の柵乗りを見せる。「えらい、よくやった〔Prima. Fajn〕」と褒める。しかし、息子のそばにあった「土盛りの草」に気付いた父は、「えらい〔Príma〕」だけに下方修正(3枚目の写真)。それでも、「あさってから、乗り方を教えてやる。それに、ゲネラルを調教するのを手伝って欲しい」と言ってもらえる。
  
  
  

翌日。父がゲネラルに調馬索運動をさせているのを、アダムは柵の外から見物。「父ちゃん、調教 いつ教えてくれるの?」。「すぐだ。明日。それとも明後日かな」。昨夜の話は、酔った上での空約束だったのか? 父は、ゲネラルの走行音を聴きながら、左前脚の蹄鉄が緩んでいることに気付く。そこで、アダムに、今夜ゲネラルを連れて行っていいか、鍛冶場に訊きに行かせる。鍛冶場の工長はOKするが、最後にわざとアダムの頬を手で撫でる。手はススで真っ黒になっていて、アダムの左の頬に黒い手の跡が付いてしまう。そのまま鍛冶場の外へ出て行ったアダムは、たむろしていた子供たちに笑われる。アダムは、それを見返すように、「父ちゃんは、あした、ゲネラルの乗り方を教えてくれるんだ」と宣言する。「ゲネラルだって? お前が?」「鞍に両足とも縛りつけないとな」。アダム:「縛りつけるもんか。お前ならそうだろうけどな」。「墓場は用意したのか?」「ゲネラルを干し草の山に連れてけば、落ちた時にケガしないぞ」(1枚目の写真)。悪口のやまない子供たちに、アダムはアッカンベーをし、石を拾って投げつける。アダムは、すぐに子供たちに取り押さえられ、「〔ゲネラルが〕怖いんだろう」と言われるが、「怖いもんか」とつっぱねる(2枚目の写真)。「ほんの ちょっとも?」。「ちょっともだ」。カンカン帽の少年が、「放してやれ、試めしてやろう」と言い、鍛冶場の脇に連れて行くと、「あの 若い奴、見えるな?」。「どいつだ?」。「帽子を被った奴」。カンカン帽の少年は、自分のパチンコを渡し、アダムに、「これで 石をぶつける勇気があるか、見ててやる」と言う。「見つかったらどうする?」。「それ返せ。お前が臆病だって分かった」(3枚目の写真)。その言葉に、アダムはパチンコに石をはさみ、若者の背中めがけて放つ。
  
  
  

背中に石が当たって振り返る若者。子供たちは散り散りに逃げ、1人残ったアダムは、「怒らないで。やりたくなかったんだ」と謝るが、若者は、「このクソガキ。ボコボコにしてやる!」と言うと、置いてあった径5~6センチほどの木の棒をつかみ、猛然と襲いかかる。「あばら骨を折ってやる!」。必死に逃げるアダムは、池の水門の下に隠れた(1枚目の写真、矢印は若者の足)。水は冷たく、アダムは震えがくるが、若者の気配がなくなっても、怖くてなかなか水から出られない。ようやく家に帰った時には、ぐったりと疲れていた。夕食の時、アダムの様子が変なので、母はアダムに額に触れてみる。「燃えるみたい。熱が高いわ」(2枚目の写真)。「池に落ちて風邪を引いたのね。危うく溺れるところだった」。「熱なんかないよ、母ちゃん。僕、ぴんぴんしてる」「明日は、一緒にゲネラルを調教するんだよね、父ちゃん?」。「今はうまく走れんが、明日の朝には新品みたいになってるぞ」。しかし、父の顔がぼやけていくと、次のシーンでは、アダムがベッドに汗まみれで寝かされ、母が布で汗を拭っている(3枚目の写真)、相当、具合が悪そうだ。
  
  
  

次にアダムに意識が戻ると、産婆が心配そうに見ている。「どこか痛むかい?」。あちこち押してみるが、どこも痛くない。そのうち、アダムは、「父ちゃんはどこ?」と言って、体を起こそうとする。しかし、起き上がれない。変だなと足を触ってみる。「何か捜してるのかい?」。「足だよ。僕の足はどこ〔Kde mám nohy〕?」。産婆はシーツをめくって、「足ならここにあるよ」と言うが、アダムは足を持ってみて、「動かないよ」と言う。その言葉に、産婆は、父に町から医者を連れてくるよう指示する。医者が来るまでの間、熱に浮かされたアダムは、鍛冶場の連中がゲネラルを連れ出すと、脚に鎖をつけて引き倒す夢を見る。そして、気がつくと、自分の足にも鎖が巻きつけられていて、ぜんぜん動かせない。アダムが悪夢から覚めると、目の前には太った医者がいた。アダムの足は、「くの字」型に曲がったままだ〔いわゆる、膝の伸展不全〕。医者は、左膝を触って、「この足を動かしてごらん」言う。アダムは動かそうとするが… 「できないよ」(1枚目の写真)。「反対の足はどうかな? こっちも動かない?」。「だめ」。医者は立ち上がると、両親の方を向いて、「残念ですが、ポリオかもしれません。今、トルコから流行っていますから」。ポリオは、現在、日本では根絶されているが、1920年代では世界中で流行していた。ポリオは、ヒトからヒトへ経口感染し、かつ、感染から発症までの潜伏期間は4~35日間なので、前日に冷たい池に入ったことは、ポリオと直接の関係はない。ただ、ポリオに感染しても、発症し、弛緩性麻痺に至るのは感染者の約0.1%に過ぎない。1000分の1の確率だ。そして、この発症には、免疫力の低下が引き金になる可能性があると指摘されている。ということは、冷たい池に入り、結果として風邪をこじらせたことが、ポリオを発症させ、最悪の弛緩性麻痺を引き起こした可能性は十分にある〔もしそうだとすれば、カンカン帽の少年、特に、鍛冶場の若者に責任の一端がある〕。さて、ここから先の場面で、医者が行う治療が、1920年代として正しかったのかどうか、私は医師でないので分からない。医者は、「この子の足を真っ直ぐにする必要があります」と母に話す。「痛むのですか?」。「特に、あなたが。息子さんにとって必要なことなので、勇気を出してやって下さい」。アダムはテーブルの上に載せらる。両足は曲がったままだ。アダム:「大丈夫、痛くないよ。叫ばないし」。その言葉を聞いて、母は、全身の力をこめて両膝を下に押す。あまりの痛さに、アダムは呻き声とともに気絶し、父が馬術競技の花形として馬に乗っている姿を見る。苦しい現実に戻ったアダムは、「すごく痛かったよ」と涙声で言う。「可哀想な坊や」(2枚目の写真)。「もう一度やって。お医者が言ってたよね、2・3度やれって」。母は、大きな飴棒をアダムにくわえさせ、再度トライ。強烈な痛さで、再び失神したアダムの口から飴棒が落ちる(3枚目の写真、矢印は落ちていく飴棒)。アダムをベッドに戻した母は、涙にくれて部屋から出て行ったが、アダムも痛さに涙が止まらない。ベッドのヘッドボードの上に置いてあった木で作った馬を抱いているうちに、また気を失う。そこで見た夢は、アダムがゲネラルを立派に乗りこなして喝采を浴びる反面、酔っ払った父が厩舎の監督から叱責されるという内容。
  
  
  

アダムが気が付くと、また医者が足を診察している。「動かしてみなさい」。アダムは全力で動かそうとするが、全く動かない(1枚目の写真、木の馬が一緒に映っている)。「もう一方も試して」。「できないよ」。医者は、木の馬を手に取ると、「入院しないとな。きっと治るよ。私には、もう何もできん」と言う。それを聞いた母が、泣き出す。翌朝、アダムを病院に連れていく馬車の前で、鍛冶場の若者が申し訳なさそうに待っている。父は、「病気はトルコから来た。池で拾ったんじゃない」と言って慰める。それでも若者の顔は暗い。父は、町を出外れると、御者台に立ち上がり、「つかまってろ、つっ走るぞ」と言って、ガタガタ道を飛ばし始める(2枚目の写真)。正面から、地ならしをする蒸気機関の転圧機が自走してきたので、父は野原を迂回して避ける。母:「私たちを殺す気?」。そして、アダムには「大丈夫だった?」。アダムは それに答えず、父に「どのくらい入院するの?」と訊く。「2・3日さ。早く元通りになってもらわないとな。仕事があるだろ」。母は、アダムに、『もし、知っていたら(Kdybych já byla věděla)』というチェコの民謡を歌って聴かせる。聴き終わったアダムは、母をみつめながら 「大きくなったら、結婚したいよ」と口にする(3枚目の写真)。11歳になっても、結婚の意味を知らないところが可愛い。
  
  
  

病院に着いたアダムは、ストレッチャーに載せられ、浴室に連れて行かれることに。母が、「昨日、ポットで湯を沸かし、石鹸で洗いました」と言うが、修道女姿の看護婦長は、入院前に風呂に入れるのが病院の規則だと話す(1枚目の写真)。運ばれていくアダムに、父は、治るためには、何でも言われた通りにしろと諭す(2枚目の写真)。アダムは、大事な「木の馬」と一緒に浴室に連れて行かれる。浴室担当の看護士が、「こんなタイル見たことあるか?」と自慢げに話しかけると、「あるよ」。「どこで見た?」。「厩舎で」(3枚目の写真)。看護士は、「このガキめ。いいか? 俺はからかわれるのが嫌いなんだ」と言って、アダムの顔を湯にズボッと付ける。「僕の村の厩舎じゃ、どこでもタイルが貼ってあるよ」。「大したもんだ」。1920年代と言えば、日本では大正期にあたる。この頃の日本では木桶風呂が主流。当然、壁は木で、タイルなどは貼られていない。チェコでも、浴室のタイルは珍しかったのであろう。
  
  
  

風呂が終わったアダムは、再びストレッチャーに載せられ、大部屋に運ばれる。1つの大きな部屋に、中央の通路を挟み、両側にベッドがずらりと並んでいる。ベッドに移されたアダム、唯一の持ち物は木の馬だけだ。さっそく、「父さんはどこ?」と訊いてみる(1枚目の写真、顔の前の白い布は、膝が曲がっているため)。「もう、帰られましたよ。村までは遠いでしょ。ここを我が家だと思いなさい。きっと好きになりますよ」。隣のベッドの禿げたおじさんがアダムのベッドの前に立つと、「なんで泣いてる?」と訊く。「家に帰りたい」。「みんな そう願ってる。で、なんで入院した?」。「ポリオだよ」。その言葉に、患者全員が体を起こす。おじさんが、「なあ、いいか。君は、ここでは一番若くて小さいが、一番重病なんだぞ。わしはアンブロッシュ。プロティヴィンに製粉所を持ってる。知っとるだろ」〔プロティヴィンはプラハの南方の村で、ボヘミアに属する。ロケ地のあったチェコ東部モラヴィア地方のナパイェドラの西240キロ。そんなに離れていれば、アダムが製粉所のことを知るはずもないし、そんな遠くに入院するはずもないので、この映画の設定場所は、ロケ地周辺ではなくて、プロティヴィンの周辺なのかもしれない〕。この頃には、多くの同室の患者が、アダムの顔を覗きに来ていた(2枚目の写真、全員が中高年だ)。おじさんは、「こんな状況ではあるが、君に会えて嬉しい」と言うと、アダムに向かって手を差し出す。アダムは、涙を流したままの顔に笑みを浮かべると、「今日は」と握手する(3枚目の写真)。
  
  
  

翌日の朝、アダムが目を覚ますと、ベッドの前で患者達が話している。「可哀想な子だな。もう二度と歩けないそうじゃ」。それを聞いたアダムは、「歩けるさ! 歩けないわけないだろ? 父さんみたいに馬に乗るんだ!」と反発する(1枚目の写真)。そこに回診で医師が入ってくる。看護婦長が布団を外して曲がったままの膝を医師に見せる(2枚目の写真。背後に立っている若くてきれいな看護婦は、後で、アダムのお友だちになってくれる。手に持っている籠の中には、母から差し入れられた卵が山盛りだ〔矢印〕)。初めてアダムを診た医師は、「馬に乗りたいそうだね?」と尋ねる。「はい」。「そうなると、この足、なんとかしないとな」。その後、サイドテーブルの上の木の馬を見た医師が、「それは馬かね、牛かね?」と訊いたので、アダムは馬を引っつかんで、頭から布団をかぶってしまう。馬か牛か分からなかった医師は、何人もの患者から失笑が漏れたので、さっさと部屋から出て行ってしまう。残った看護婦は、「お母さんが卵を置いていかれたのよ。朝 食べたくなったら、おっしゃい。何か作ってきてあげるわ」と優しく話しかける。看護婦が去った後、隣のおじさんは、卵を手に取ると、「じゃあ、君の家には鶏がいるんだな?」と訊く。そして、アダムの顔を見ると、「泣くんじゃない。医者に、馬が分かると思ってたのか? あの医者なら、卵も じゃがいもみたいに地面から生えると思ってるに違いない」とアダムを笑わせようとする。その夜、怒鳴って暴れながら1人の患者が病室に連れて来られ、ベッドに縛り付けられた。翌朝、昨日の優しい看護婦が来た時、アダムは卵を2つ渡す。1つは自分用、1つはベッドに縛り付けられたままの男性用だ。隣のおじさんは、「鶏小屋でもあるみたいに卵をやるんだな。お父さんに似てるぞ。気取り屋だ」と批判的だが、看護婦は、「可哀想な坊やが、笑ってるわ」と言い、「私のお気に入りだって知ってた?」と訊く。「うん」。看護婦はアダムの唇にキスしてやる(3枚目の写真)。アダムは照れくさそうに、唇を拭う。看護婦は、「明日の夜は、よく眠れるわよ。起きた時には、手術は終わってる。そしたら、また歩けるようになるわ」。
  
  
  

看護婦が出て行った後、アダムは、隣におじさんに、「しゅじゅつ、って何?」と訊く。「何てことない。君の足をじっくり調べるだけで、傷付けたりはしない。眠って、何事もなく目覚めるだけさ」と教える。アダムは、昔、馬が荷車を壊して逃げて行った時、父が、何と言ったかを思い出す。「まず、コーヒーを飲んでしまおう。こんなことで、じたばたするもんか」。そして、アダムも、同じ言葉を口ずさむ、「こんなことで、じたばたするもんか〔Kvůli něčemu takovýmu se přece nezblázním.〕)」(1枚目の写真)。この言葉を耳にした隣のおじさんは、いたく感動した。そして、「聞いたか、この子の言ったこと。これぞ男だ。勇敢な子だ」と隣の男にも話しかける。翌日、アダムは手術室に連れて行かれる。「怖くない?」と優しい看護婦に訊かれ、「怖いよ」と正直に答える。「何も 心配しなくていいのよ。これから、すぐに眠って、目が覚めたら、またベッドに戻ってるわ」。そして、エーテル麻酔が開始される(2枚目の写真)。1842年に発明され、1920年代まで全身麻酔の主流だった方法だ。手術は順調に終わったが、アダムは3日間も麻酔から覚めず、医師を心配させた〔医師が、閉じたアダムの目を手で開いて様子を見た時、明るい光の元でも瞳孔は縮まなかった。意識がない証拠だが、どうやって撮影したのだろう? 散瞳薬では、瞳孔はもっと開いてしまうし…〕。幸い、アダムは意識を取り戻し、病室に戻される。動くと足が痛かったので悲鳴を漏らす。看護婦は「動かないで。痛みはすぐに消えて 元気になるわ。最悪の時期は終わったのよ」と慰める(3枚目の写真)。その時、アダムは隣のベッドに別人がいるのに気付く。「アンブロッシュさんはどこ?」。「アンブロッシュは、もう苦しまなくて良くなった。逝ったんだ。安らかに眠っている」。
  
  
  

手術の傷が治ったアダムは、看護婦の押す車椅子に載せられて、太陽の降り注ぐ庭に連れて来られた(1枚目の写真)。1人で庭に残されたアダムは、タイヤを手で回して椅子を前後に動かしてみる〔現代の車椅子と違い、ハンドリムなどは付いていない〕。すると、背後上方から、「何て名前だい?」と声がする。アダムは後ろを振り向き、「君は?」と訊き返す。「イルカ。僕も病院にいたんだ。屋根から落ちてね… 脳震盪を起こして15針縫ったんだ。君は?」。車椅子を回転させたアダムは、「ポリオだよ」と返事する(2枚目の写真)。「それ何?」。「歩けないんだ」。壁の上の少年は、「キャンディー欲しい?」と訊く。「見返りは?」。「なに持ってる?」。「何も」。「じゃあ、2個か3個あげる」。イルカは壁を降りようとするが、看護婦に見つかって叱られる。そこで、塀の上からキャンディーを3個投げる。当然、地面に落ちる。「拾える?」。「もちろん」。イルカはいなくなる。アダムは、車椅子から手を伸ばしてキャンディーを取ろうとするが、あと数センチで届かない。もちろん、指先が触っても、それで拾えるわけではないのだが。アダムは、車椅子をキャンディーの真横に移動させ、思い切り手を伸ばす。今度は重心が移動し、アダムは車椅子ごと転倒。椅子から地面に投げ出される。アダムは、痛いのを我慢してうつ伏せになると、手で体を這わせて何とかキャンディーまで到達し、口に入れる。その達成感は、アダムを喜ばせる。地面に倒れているアダムに気が付いた看護婦が2人で駆け寄る。「いったい何が起きたの?」。「キャンディーが拾いたかった」(3枚目の写真)。「どうして、私たちを呼ばなかったの?」。「自分でやりたかったんだ〔Chtěl jsem si je podat sám.〕」。アダムの前向きな姿勢が感じられる言葉だ。
  
  
  

さらに回復したアダムには、松葉杖での歩行訓練が待っていた。初めて松葉杖を立ち上がったアダム。看護婦長と優しい看護婦が左右から倒れないよう支えている。医師が「足は痛い?」と訊くと、「ちょっと」と答える(1枚目の写真)。「しばらく歩いていなかったから、筋肉が弱ったんだ」。看護婦が手を離し、アダムが恐る恐る杖を片方ずつ前に出していく。足がついていかないうちに、前のめりに倒れかけ、慌てて看護婦が体をつかむ(2枚目の写真)。倒れそうになったものの、アダムは、医師を見てニッコリし、「もう一度やってみる〔Já to ještě zkusím.〕」と言う(3枚目の写真)。医師は、前向きな態度に感心し、「偉いぞ! 君は、すぐ、私よりうまく歩けるようになる。私には2本の足しかないが、君には3本ある。飾りに もう1本あるしな」と言う〔3本とは、左足と松葉杖2本のことだが、「飾り」とは、全く動かない右足のこと。しかし、後で、アダムがこの右足を頭まで持ち上げるシーンがあるので、手術の具体的な内容は分からないが、右足は義足なのかもしれない〕
  
  
  

アダムは松葉杖にも慣れ、外は雨なので、病室の中で練習をしている。しかし、そろそろ、帰宅できる時期なので、つい愚痴も出る。「今日も来ないだろうな。雨がひどいから」(1枚目の写真)。音がしてドアが開くと、そこには母がいた。「母ちゃん! 父ちゃんはどこ?」。「安心して。中庭で待ってるわ」。アダムが中庭に行くと、父は、幌付きの荷馬車に載せてきた手漕ぎの自転車を誇らしげに見せる。「どうだ、すごいだろ? まるで侯爵様みたいだ」。それを見て、アダムが嬉しそうに馬車に近付いて行く(2枚目の写真)。後ろでは、看護婦長が母に、「とっても勇気のある お子さんです。不具になったのが子供の時だったのが、唯一の救いですね。子供は受容力が高いので、境遇に順応しやすいのです」。それを聞いて、思わず泣き出す母。アダムは、「泣かないで、母さん。僕、ちゃんと治るから。きっと、前みたいに歩けるよ」(3枚目の写真)。そして、「こんな水溜りだって、飛び越してみせるから」と言って、足元の水溜りを見る。映画の題名は、ここから取られたものだ。
  
  
  

村に帰ってからのアダムの明るい側面が映像で綴られる。厩舎にたむろする少年たち。以前は、あまりアダムとはしっくりしていなかったが、今では仲間の1人だ。最初のシーンは、少年たちが順番にアダムの松葉杖を借り、足を地面から離して、2本の杖だけで何秒静止できるかを競っている。カンカン帽の少年は4つ数えるまで持ちこたえたが、次に挑戦した少年は、「2」で尻餅をつく(1枚目の写真、矢印はアダム)。罪の意識のある鍛冶場の若者は、少年たちがアダムの松葉杖を奪って虐めていると勘違いして止めに入るが、アダムは、「貸してるんだ。後で、返してくれる。お返しに、ビー玉10個と、鉛の兵隊さんと、トウモロコシ・ケーキ2個もらったよ」(2枚目の写真)。次のシーンは、父から贈られた特注の自転車。これは少年たちに大人気で、アダムが漕ぐのに合わせ少年たちが一緒について村中を走り回っている(3枚目の写真)。虐めや差別をうかがわせる映像は皆無で、アダムは、以前よりもずっと、友達との時間を楽しんでいる。
  
  
  

ある日、アダムは、1人で自転車を漕いで囲い場で調教中の父に会いにいった。「何か 手伝おうか?」。「ううん、快調だよ」(1枚目の写真)。「馬の脚を見てろ。おかしなところがあったら教えてくれ」。「右の後ろが変だよ」。「問題ない。これなら調整できる」。その話の間に、アダムは上段の柵に両手をかけると、手の筋力で体を持ち上げ、柵に座ることができた(2枚目の写真)。それに気付いた父は、「誰に助けてもらったんだ?」と尋ねる。「誰にも!」。それを聞いた父は、そばに歩いて寄ってくると、「いいか、将来、俺と母さんがウチの前に座ってる。すると、誰かが馬に乗ってやってくる。俺は、『あれは誰だ?』と母さんに尋ねる。母さんは、こう言うんだ、『あんた分からないの? ウチのアダムじゃないの!』ってな」。この話に、思わず微笑むアダム(3枚目の写真)。
  
  
  

別な日、アダムは、一番親しくなったカンカン帽の少年に、「馬に乗るのを覚えたいんだ。そのうち、貸してくれないかな?」と頼んでみる。「うまく歩けないのに、どうやって乗るんだ?」。「足で乗るんじゃない、お尻で乗るんだろ」(1枚目の写真)。アダムの熱意にほだされた少年は、仲間の黒髪少年と一緒に、一頭の馬と黄色い鞍を調達してやる〔厩舎の監督の息子なので〕。アダムは、馬によじ登るのに、一切の助力を拒み、それでも何とか背中の上に達するが(2枚目の写真)、敢えなく、そのまま反対側に落下する(3枚目の写真、黄色の矢印は左足、赤の矢印は右足)。仰向けでの落下は痛かったと思うが、何事もなかったように二度目にチャレンジ。今度はうまく馬に跨ぐことができ、「飾り」の右足は、「あぶみ」に手で突っ込んで固定する。最初は、2人が手で馬を牽いていたが、待ちきれないアダムは、すぐに1人で馬を走らせる。すると、10数メートル走ったところで、バランスを崩して落馬(4枚目の写真)。「バカだな! 最初はゆっくり歩かせるんだ。それからトロット、最後がギャロップだ」。「分かってるって」。こうして、練習は続いた。
  
  
  
  

3人の少年の結束は強く、3人だけで こっそりタバコをふかし(1枚目の写真)、その直後、ゲーゲー吐くはめになったりもする。アダムが家で体を拭いていると、背中に付いた傷を疑われたこともあった(自転車で茂みに突っ込んだことにした)。その後で、父が、「厩舎の監督の家から、鞍が1具なくなった。あちこち捜したが見つからなかったそうだ。俺にも、酒場に忘れなかったと訊いてきた。だが、もし俺なら、黄色の鞍なんかは遠慮するな」。話を聞きながら、アダムはヒヤヒヤしている(2枚目の写真)。次のシーンでは、アダムは、松葉杖1本だけを背中に付けて、颯爽と馬を駆っている(3枚目の写真)。
  
  
  

アダムは納屋の陰で一度馬から降りて休憩する。そして、もう一度馬に乗るために、右脇の松葉杖1本と、左足だけで歩き(1枚目の写真)、干草の山を這い上がり、松葉杖を背に掛けると、左足を「あぶみ」に固定し、反動で動かない右足を上げて(2枚目の写真)、確実に馬に跨る。そのまま、走り去ろうとすると、口笛が聞こえ、振り返ると鍛冶場の若者が立っていた。若者は、近くに寄ってくると、「今日は、何回落ちた?」と尋ねる。「一度も」。「そうかな?」。「多分、1回」。「そうか」。そう言うと、若者はアダムの靴に手を触れる。「靴が悪いせいだ。ちゃんと乗りたいなら、乗馬靴が要るな」。若者は、左手を拡げてアダムの靴のサイズを測る(3枚目の写真)。彼は、アダムのポリオに責任を感じているので、乗馬靴をプレゼントするつもりなのだ。
  
  
  

父は、夕食の際、毎晩誰かが厩舎に来て、馬を練習させていると打ち明ける。「監督は、そいつを捕まえるため、罠を仕掛けるつもりだ」。アダムは、その話を、真剣な顔をして聞いている(1枚目の写真)。そして、その夜、厩舎内の練習場では、2人の友達がコースを回って何もないことを確認した。「ここには何もないぞ」「きっと、お前の父さんが聞き違えたんだ」。アダムは、コースに入って練習を開始する。途中には、低い「垂直障害」があるが、軽々と飛び越える。そして、その先にあったものは、騎手の高さに張り渡された有刺鉄線だった。友達2人は背が低すぎ、高い位置の有刺鉄線には気付かなかったのだ。アダムは有刺鉄線にまともにぶつかり、左肩をケガして落馬する。向かった先は産婆の家。テーブルの上に仰向きに寝かせられたアダムは、肩の傷を見ている(3枚目の写真)。「足は大丈夫だったかい? その上、肋骨まで折りかけるなんてね」。「お願い、両親には言わないで。日曜まで内緒なんだ」。
  
  
  

いよいよ、日曜日。それは、年1回の馬術競技の日。映画の最初の場面から、ちょうど1年後にあたる。鍛冶場の若者が用意してくれた乗馬靴を履き、万全の姿で馬に跨ったアダムは(1枚目の写真)、松葉杖なしで颯爽と出かけて行く〔松葉杖は、若者が持っている〕。アダムは馬術会場とは逆方向、自分の家を目指してトロットで馬を進ませる。家の前では、両親と2人の姉が着飾って会場に向かおうとしている。そこに、丘の上からアダムがギャロップで下ってきて、家の前の障害物をきれいに飛び越える(2枚目の写真)。それを見た父は、「母さんや、あそこで馬に乗ってるのは誰かな?」と尋ねる。「あれは、私たちの坊やよ!」(3枚目の写真)。
  
  
  

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